まだ30代の頃。
みんなで飲んでいるときに、ある男友達の愚痴を聞いたことがあります。
「うちの親父、いつも俺にエラソーに説教してくるのよ。地方の小さい会社で働いてるくせにエラソーに上から言ってきやがって。そんなの分かってるって!って事を延々言ってきて、こっちは世界を相手に働いているのにさー、、、」
「地方の小さい会社のお父さん」と「世界を相手に働くオレ」をやけに強調していたのが印象的で。
お父さんをすごい見下してるんだなぁ。。
でも本当は、お父さんに認めてもらいたいのかもなぁ。。
ほろ酔い気分の中、そんな風に思っていたのを今でも覚えています。
かつての私も、彼と同じように感じていた時があります。
うちの母は主婦だったので、
「社会に出てないクセに、社会人の私にあれこれ言ってくるし」とか、「私は、会社でいろんな人とやりとりして揉まれてるのに、家庭のせまい中で何も知らずにヌクヌクと生きている」
限られた狭い世界で生きる母親を下に見ていた時期がありました。
だけどよーく考えてみると、昭和のお母さんって大変だったと思うんですね。
家族や親戚、近所の人、、、って、いつも決まった人間関係の中で過ごして。
ケンカしたり価値観が合わなくて、「もう嫌!」と思ったとしても、人事異動もない。転職のように「他に移りまーす、じゃあね!」とも、かんたんには出来なくて。
「やって当たり前」とばかりに感謝もされない中、ご飯つくったり掃除洗濯をして。
一生懸命やってるのにお礼がないどころか、「えー、今日のオカズ、これー?」と文句言われることもしばしば。。
洗濯機だって「二層式」で、ほんと手間がかかってたと思うんです。電子レンジもないし。
ご近所づき合いも今より濃かったし、嫌でも顔を合わせないといけないじゃないですか。子供会とか自治会の集まりとかあるし。
決まったことをやる。固定された人間関係と付き合い続ける。しかも「いつまで」のゴールも見えない。
昔の母親ってほんとスゴイ。
私だったら家事は頑張れたとしても、「固定化された人間関係」でそこから逃げられない、というのが苦痛で耐えられないと思う。。
一軒家だと20年、30年、40年と、ずっと同じご近所づきあいがある訳ですよね。ムリムリ。。。
世界を相手に仕事する大変さもあるけど、閉鎖的な世界の中で生き抜くことも大変だったはず。
親の育て方にいろいろ思うこともあっても、それでも。いまと比べると、大変な環境の中で私は育ててもらったのかな。当時の母はとても若かっただろうに。
私にはない「強さ」がそこにある。
そう感じます。
綿棒で立体をつくる工作をする息子。
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