中学生のとき、親友に別の友達の悪口を伝えたら、
「なんで悪口をいうの?親友って楽しい話をするものじゃん。楽しく話そうよ!」
と言われたことがあります。
「そっか、そうだね、ごめん。」と答えて話題を変えたものの、内心すごくビックリしたのを覚えています。
なぜなら、当時の私は
「親友って悪口を言い合える人」だと思っていたから、です。
ほかの誰にも言わない「人の悪口」という秘密を共有する関係。
この「秘密の共有」「人に言わないことも言える関係」、そして「信頼関係」こそが親しい間柄である証拠だと、自分でも気づかないまま思い込んでいたんです。
だから「楽しく話すのが親友」と別の価値観を言われた時に、そりゃそうだよねと納得つつも、そんなド正論が親しい証拠なのか!と驚きました。
「人の悪口もこっそり言えるのが親友だよね。」
自覚がないままそう思っていたのは、親からの影響かもしれません。。
うちの両親って、しょっちゅう人の悪口を言っている人だったんですね。
私に直接いってくることはなかったけど、父と母が誰かの悪口をいっているのを聞くことが多くって。
多いといっても他の家と比べたわけじゃないから、多すぎるのか、どこの家もこんなものなのか、よく分からないです。
だけど、子供の私は「うちの親はいつも悪口ばっかり言ってる」と思ってました。
親戚が集まる法事から帰ってきたら、
「〇〇さんの態度が悪かった」
「〇〇ちゃんはあんなに太って、ご飯食べないでお菓子たべてるのよ」
「〇〇さんがこう言ってたのよ、ひどいよねー」
悪口というより、両親なりの「正論」を言い合っていたんだと思います。
まだ幼かった時は気にならなかったけど、成長するにつれて、ほんとうに嫌気がさしてきて。。
親戚や近所の人とか、私が知ってる人はもちろん、たとえ知らない人だとしても、悪口を聞くのって、なんとも言えない嫌〜な気持ちになるし、
悪口をいう両親の姿を見るのも嫌でした。
なにより嫌だったのは、「人ってこんな風に、裏で誰かの悪口を言っているんだな」と思うようになったことです。
ニコニコして話が盛り上がっても、内面ではどう思っているのか分からない。
「人を疑う」までいかないけど、人の言葉を真に受けないようになったのは、ちょっと自分でも嫌だなぁと思います。
実は大人になってから、一度、父に伝えたことがあるんです。「家で人の悪口言わないでよ、気分よくないから」って。
その時に父に言われたのは、
「そんなに悪口いってないし、家の中で家族で言ってるだけなんだから、、、」でした。
きっと両親にとっては「人を悪く言っている感覚」は無かったんだと思います。
人の非を言うことで「自分たちは正しい」「自分たちは分かっている」と思いたかっただけ。
だから悪口というか、ジャッジするような言葉を2人で話しているのかな。そんな風に思いました。
そうした両親を見てきたことで、
人の悪口を言い合えるのが親しい証拠。だから、親友にも人の悪口を言わないと。
そんな「その思考パターン」があったんですね。
親しさの証拠として「あえて」人の悪口を言っていたのかぁ、、、と、中学時代の自分が恥ずかしいやら、少しかわいそうな気もしています。
幼かった頃は「家の中が世界のすべて」だから、仕方ない部分もたくさんあるけれど。
大人になった今。
今は「何を思おうが選ぼうが自由」なんですよね。
だからこそ、
自分が幸せになる価値観や行動を選び直していこう。
そう思っています。
かつての私にとって、人の悪口は「親しさの証」でした。親を見て、自分でそう学んだんですね。
「親のせい」「育った環境のせい」と言いたくなるけど、だけど、生まれ育った環境で学んだ生き方は変えていけます。
私も。そしてあなたも、です。
夏休みにいった神戸どうぶつ王国。
ふくろうと記念撮影してきました。^^
息子もふくろう乗せに挑戦!
「カメラの方を見てくれる?」と話しかけてますw