今日は、私と同じように怒るのが苦手な人へ向けたメッセージです。
・怒れない。嫌なのに、つい我慢してしまう
・言いたいことを飲み込んでしまう
・頭にきているのに笑ってごまかす
・後から思い出して、怒りがわいてくる
そんな風に怒りを抑圧してしまう方って、意外と多いんじゃないかと思います。
私も、怒れない人だったんですけど、怒りを我慢していたというより「怒りたくなかった」というほうが近いかもしれません。怒る自分でいたくなかったんですよね。なぜなら、怒ること=人を傷つける「武器」だと思っていたからです。
そう思うようになったのは、小さいころからずっと、とにかくよく怒る母を見てきたからなんですよね。(いまは別人かと思うほど、おおらかで優しいです)
子どもの私からすると、母の怒る声って大きいし、勢いというか圧倒されるような迫力があって。怖いのどうかも分かっていなくて、ただただ、頭が真っ白になって、何に対して怒られてるのかもよく分からなくなってきて、とにかく、この時間が早く過ぎてくれーーー!と祈るように思っていました。
こんなにすぐ怒るし、お母さんは私のこと、嫌いなんだ。そう思うと、とても悲しかったのを覚えています。たくさん怒られて傷ついたからこそ、怒ること=人を傷つける「武器」だと思っていたんですね。
だからこそ、「私は、お母さんみたいに怒る人にはならない」と、母を反面教師にして、怒らないようにしてきました。
そのおかげで、かつての母のようにすぐ怒る人にはならなかったけど、だけど、怒りを封印したことによる弊害も、たくさんありました。
たとえ嫌なことされても怒ったり言い返さないから、嫌なことをされ続けるし、言いたいことも言えない。どんなに頭にきていても、無意識的に、顔は笑ってごまかそうとしてしまう。そんな自分を責めてしまって。自分のストレスも溜まって、ふとした拍子に爆発してしまう。
それでも、私の中に「怒る」という選択肢は、出てこなかったんですよね。それくらい強く、怒りを封印していました。
心理セラピーを受けたり、「怒ることの重要性」を理解することで、ようやく怒ることを許可できるようになりました。そして、いま感じるのは、
怒りは「武器」じゃなくて「防具」だった、ということ。
自分の中の怒りを封印すると、自分のことを守れなくなってしまうんですね。嫌なことされても、何も言えなかったり、ただ受け入れるしか出来なくなってしまう。
かつての私のように、怒りを我慢しがちな人は、攻めるための「武器」としての怒りはなくてもいいけど、自分を守るための「防具」としての怒りは、出せたほうがいいよね、と思います。
「怒り」を人を傷つけるために使うのか、自分を守るための使うのか、どう怒りを出すかは、自分で選べます。そして、過去に怒られてイタイ思いをしてきた人ほど、同じことを人にしないと思うのです。
だから、もっと安心して、怒ることを許可していい。
そう思います。
あなたが大切な人と幸せになりますように。
斉木智美でした。