「ごめんなさい」が言えない〜世の中には素晴らしい価値観がたくさんある

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こんにちは、自分を大切にする心理学の斉木智美です。

先日カウンセリングで「自分が悪いって分かっているのに、ごめんなさいって謝れなくて…」というお話がありました(ご本人から了承を得て掲載しています)。

うんうん、この感覚、分かる気がします。私もそうでした。

目次

謝りたくない心理

私も謝れない人でした

私も、かつては謝れない人でした。

友達や周りには謝れるんですよ。ぜんぜん抵抗なく謝れます。

だけど、これがですねー、、主人や家族とか身近な相手になるとそうもいきません。家族には本性が出てしまうんですかね。笑

 
自分の感覚としては「謝ることが嫌」というより、「私は一生懸命やってるし悪くない。悪いのは夫。」そう思っていました。

たとえば、夫から「ハサミ使ったら片付けてよ」って言われたら、「そっちだって、この間ハサミ使って片付けてなかったじゃん。私は注意しないで片付けたけど」と言い返したり。

「今」「私が」「片付けていない」のだから、それに対してごめんって言えばよかったのに、「過去」「相手が」「片付けてなかった」ことを持ち出してきて、「お互い様だから私は謝らなくていい」と思っていたんですね。

たとえ私に非があったとしても、夫の悪い点を探しだしてそこを指摘して自分は謝らない。

そんな調子なので、夫婦ゲンカが終わらなくてずっと険悪ムードでした。

ストレスが溜まるのはもちろん、家のことで時間とエネルギーをとられてしまって、やりたいことが出来ないことがすごく嫌だったのを覚えています。

謝りたくない理由とは

なぜ素直に謝れないかというと、ですね。

「ごめんなさい」と言うと負けた気がするからです。

 
「ごめんなさい」と謝ると、自分の非を認めたことになるし、なんだか自分が下になった感じがするんですね。負けた感じというか。

相手だって悪いところがあるのに、自分が先に謝るなんて、悔しいし許せない。

そうそう、自分が謝ることに対して「許せない感じ」がして謝れなかったのです。

謝らない上司やミスを認めない人、指摘したら逆ギレする人も、「自分の非を認めたくない」「自分が下になりたくない」から、謝らないし、横柄なふてぶてしい態度になるのかもしれません。

 
そして、謝れなかった私が変われたのは、2つのことが腑に落ちたからです。

謝れなかった私が変化したキッカケ2つ

無価値観をゆるめたから

まず一つめは、自己肯定感の低さというか、無価値観をゆるめたことが大きかったです。

・自分の非を認めたくない。
・謝ったら負けた気がする
・人に頭を下げるのが嫌。
・相手より下だと思いたくないし、思われたくない。

そうやって自分が下になることを避けたくなるのは、「私には価値がない」と思っていたからだったんですね。

ちょっと想像してみてほしいんですけど、自分のことを「私ってダメだ」「大したことない」と思っていたとしますよね。

で、自分の非を認めたり、自分から先に謝ったら、プライドが許さないというか、「自分が下になった感じ」がすると思うんです。

ダメな自分に直面することになるというか。

それを避けるために、無意識に「謝りたくない気持ち」が出てきてしまうんです。

でも、心理のことを学んだり心理セッションを受けて、無価値観をゆるめる過程で、

「自分が謝ったとしても、それでも自分の価値は変わらないんだ。。」

この感覚がね、ストンと腑に落ちた時があったんです。頭で理解するのではなくて、ほんとに腑に落ちてきて。

「謝ること=自分の負け。自分が下。自分の非やダメなところを認めないといけない」と思っていた、この=(イコール)が消えた感じです。

「自分は自分のまま」でよくて、夫との関係も上も下もない。私が先に謝ったからといって、「私がダメな存在」になるわけではないし、下になるってことでもない。

無価値観をゆるめた→高かったプライドが通常モードに→謝れるようになった。

こんな感じでね、謝ることへの抵抗がゆるんでいきました。

「正論」より「仲良くしたい」を大事に

そしてもう一つ、謝れるようになった大きな要因は、

自分の正論より「相手と仲良くしたい、いい関係でいたい気持ち」を優先したからです。

それまでは、「私は間違っていない」「これだけのことをやっている」「相手が間違っている」「変わるべきは夫。私はちゃんとやっている」と思ってたんですね。汗

どれだけゴーマンだったんでしょう、私。笑

だけど、たくさんケンカしてぶつかる中で、

自分の正論を通すことより相手と仲良くできることを優先しないと、夫婦ってうまくいかないんだ、、ってことが、ようやく分かったんです。

そして、

これが分かったことで、人間関係がほんっとに楽になりました!

特に夫婦関係がすごく楽になりました。

自分の正しさより、相手と仲良くしたい気持ちを優先させる。

これを意識しただけです。

「相手が悪いから私は謝らない」「自分の非を認めたくない」と思っていたけど、正論を通したり、自分の気持ちをわかってもらうことより、相手とのケンカ状態を終わりにしたい。

そう思えるようになったんですね。

その気持ちになったのは、親戚やお世話になった方が立て続けに亡くなった時があって(しかも40代初めと若く亡くなられて)、

人と人って、いつどんな形でお別れするか分からないんだ、、、と思ったら、自分のプライドや正しさより「仲良くいたい気持ち」を優先したいと思ったんです。

相手が悪い、そっちから謝ってよと思う気持ちはね、正直、今でもあります。

だけど、そこに時間とエネルギーを使うより、先に謝って仲よくいた方が「私が」楽なんですね。

とはいえ、自分の言い分も伝えたいから、仲直りした数日後に「こうしてほしい」「こう感じて嫌だった」と本音を伝えるように変えました。

ケンカしてお互い頑固でいる時に、「そっちが変わってよ」「それ直してよ」って伝えてもうまくいかないじゃないですか。

それより、仲良くいるときに「あの時は、こうしてもらえると嬉しかった」「私も気をつけるから、一緒に気をつけていこう」と伝えたことで、結果としてお互い心地よく歩み寄れている気がします。^^

まとめ

謝りたくない、相手を許せない。自分の非は認めたくない。
私は悪くない。私はこれだけのことをやってきた。

「自分の非を認めたくない」「自分の正しさ」や「自分の気持ちを分かってもらいたい」が強くて、なかなか謝れなかった私ですが、

それはそれで、大切にしたい私の価値観だったと思います。

だけど、世の中にはもっと素晴らしい価値観があったんですね。

相手と仲良くいることを大切にしたい
やりたいことに時間とエネルギーを使いたい
自分の主張が通らなくても一緒に幸せになる方法を考えること

とかね。

謝れない私でしたが、「無価値観」がゆるんで、「自分の正論より仲良くいること」を優先することで、謝れるようになりました。

夫とケンカして、お互いの主張が平行線だった日々も、無駄ではなかったと思っています。

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